最初に死にかけたのは・・・・・

確か27〜28才くらいのときだと思う。
仕事は駅構内のハンバーガーショップの店長をやっていた。
こういったお店は店長が変わると変わってからしばらくは旧店長が残していったバイトや社員と
異動して来た店長との50対1の戦いが始まる。
特に業績悪化でたて直しに店長が来る場合はまるで敵が乗り込んできたような雰囲気になる。
店長は自分のやりかたを軌道に乗せるまでは孤独な戦いをしいられ、大半の店長は耐えられず
旧メンバーを甘やかして、たて直しにしっぱいする。
この会社で唯一たて直しをやってのけたのは私だけだった。
入社してすぐに「鶴瀬店」のたて直しをやってのけた。
その実績を買われ、大型店亀戸店を建て直した。 半年かけてNO1にした。
そうなると会社は欲がでてくる・・・
立て直しを成功した直後には精神的に神経がズタズタになっている。
本来、2年位は落ち着いてから次の立て直しに向かわなければ神経がもたない。
が・・立て直し直後に異動の話が来た。当然今の最悪の店の立て直しだ・・・
断った。当然だ。 すると卑怯にもその最悪店の店長は私が外部から連れてきた人間だった。
そこをついてくる・・・
やむ得なく、異動してまた、戦争がはじまる・・・岩槻店であった・・・・
半年後、やっとその店をNO1店舗に立て直す。 さすがに疲れはピークだ・・・
1号店の状態が最悪になっていた・・そして話がまたくる・・・・
今度の殺し文句は、岩槻店の社員(私に一番なついていて一緒に頑張った社員だ)を
店長に昇格してよいからとの条件・・・くそっ!弱いところばかりをついてくる。
結局、異動した・・
東松山店」であった・・・そして最悪の状況であった。
戦いが始まり2ヶ月、店内で事故があった・・機械の不具合でバイトが顔に熱湯をかかったのだ。
たいしたことではなかったが、問題はそのバイトが反店長派のバイトであったため大騒ぎをする。
1ヶ月、その事故で後始末に追われ、やっと落ち着いたのがクリスマスのころだった。
朝、身体が言うことを聞かなくなった・・・熱が38度・・
医者に行ったら腎臓病だと言われた。 納得できないカミサンの父親が車で駆けつけてきて
大きな病院に連れて行かれた。
お小水を取ってきてくださいと言われ、取ってきたとき、その色に自分の目を疑った・・・
まるで醤油である・・・医者は緊急入院といった。今日、点滴を打って帰り明日、入院を
するようにいわれた。 初めての入院だった・・・10人の大部屋、TVは持ち込みだ。
12月27日のにゅういんだった・・・・

入院した・・熱は40度を超えている。 座薬を入れると滝のように汗がでて熱がさがる。
2時間もするとまた40度に熱が上がってくる・・・肝臓はパンク状態だ・・
数値が異常になっている。 普通20程度で肝臓病でも100位の数値が400とかになっている。
食事はなにも口をとおらない・・水分補給だけは無理にでもしてあとは点滴で栄養補給。
2日目の夜、ふと見るとベットの横に寝袋でかみさんが寝ている。びっくりした。
聞いてみると、前夜、あまりにもワテが苦しそうなので同部屋の方がかみさんに言ったらしい。
そのくらい状況がわるかった・・・
検査をするが原因はなかなかわからない・・熱は相変わらず40度をこえる・・
みるみる身体が弱っていく・・昼間、ふと気がつくと義母が丹念に身体をマッサージしている・・
またふと気がつくと、親戚がきている・・しかし会社の部下はこない・・
あとで聞いた話だが、状況が悪いので面会禁止だったらしい。
年が明けても状況がかわらず、体重は20K位落ちている。

1月3日・・なぜか調子が良い・・・熱が上がらない・・なぜ??
いきなり治った・・意味不明である。実際にそれからは良くなるというか病気がうそだったように
元気になっていくだけだった・・・

院長先生が話してくれた。
入院したときもう助からないと思ったそうだ、カルテにはキトクと記入したと言っていた。
原因は極度の疲労・ストレスで肝臓がパンク状態だったそうだ。
原因は・・わかっている・・しかし退院したらまた戦いが始まる・・

結局12日間の入院であった。熱があったのは半分の日、あとすこし熱が続いたら
本当にアウトだった・・・
このまま店に復活したらすぐに倒れるのはミエミエなので医者から2ヶ月は絶対に仕事に
戻っては駄目と私自身と会社にも釘をさされた。